文化史は大学入試の得点源
多くの大学受験生が「文化史は苦手である」と意識しています。しかし、そのわりに文化史分野からの大学入試における出題の割合はひくくありません。では、大学入試でなぜ多く出題されるのかといえば、文化史上の人名や著作物などは大学での講義の基礎的知識に直結しているからです。文化史に関する知識は常識・教養として、大学での講義を理解するうえで不可欠だからです。一方、実際の大学入試問題を検討してみると、文化史の分野の出題水準は基本的なものが多く、出題範囲もある程度限定されています。ですから、くり返し問題を解くなど対策さえしておけば他の分野より着実に得点できるはずです。逆になにもしなければ、得点の差が開く分野でもあります。
また、この問題集を解くことによって、高等学校世界史教科書だけではわからない世界史がみえてきます。大学入試だけでなく、教養の世界史としても最適です。世界史を担当している先生方にとっては授業の幅が広がることにもなります。
大学入試では周辺地域を含む広い範囲の出題が顕著です。
多くの大学受験生が「東南アジア史は苦手である」と意識しています。それは、高等学校の世界史教科書でまとまった説明がなされていないためです。一方、実際の大学入試問題を検討してみると、最近のセンター入試ではアジア・アフリカ関係が60%、欧米関係が40%です。さらに、アジア史関係では「周辺地域を含む広範囲な出題」が著しく、最近のセンター入試では東アジア・東南アジア・南アジア・中央〜西アジアがまんべんなく出題されています。
この問題集では大学受験生の不得意分野のひとつである東南アジアや朝鮮、アフリカなどの歴史をとりあげました。特に東南アジア史は大学入試で数多く出題されているだけに多様な問題を取りあげました。そのほかの地域については、多くは出題されないだけに、その問題の傾向がきまっています。そのため一度きちんと理解しておけば出題された時には大きな得点源になります。
また、この問題集を解くことによって、高等学校世界史教科書だけではわからない個別地域の世界史がみえてきます。高等学校世界史教科書の文章の行間を読みとる力がつき、世界史を担当している先生方にとっては豊かな授業を展開することができるようになります。
『世界史文化史・地域史問題(CD-ROM版)』の見本問題
ヨーロッパ文化の源
ヨーロッパ文化の源(慶応義塾大 改)
次の文の( )に適する語句を入れ、問に答えよ。
ヨーロッパ文化の源は、古代ギリシアの文化にしばしば求められる。ギリシア哲学という場合、私たちはすぐにソクラテス、プラトン、アリストテレスの名前を思い浮かべる。また、ヘレニズム時代に自然科学が著しく発展したこともよく知られている。しかし、これらの古代ギリシアやヘレニズム時代の学問の多くは、イスラーム世界という偉大な媒介を通じて、ヨーロッパにもたらされたのである。
イスラーム世界の学問の中心は、(1)の解釈学や、法学、伝承学、アラビア語の文法学だった。このようなアラブ本来の学問に対して、ギリシアやインドから導入された医学・天文学・数学・光学・地理学などは「アジャム(非アラブ)の学問」と総称された。アッバース朝の時代には、バグダードを中心として、多くのギリシア語文献のアラビア語への翻訳が行われた。そのなかでも特記すべきは(2)の『幾何学原本』(ストイケィア)の一部が翻訳されたことである。
数学の発展に大きく寄与したのは、アラビア数字と(3)の概念だといわれる。しかし、「アラビア数字」という呼称は、ヨーロッパがイスラーム文化を通じてこの数の表記法を学んだということを意味するにすぎない。アラビアではこれを「インド数字」とよんでいた。メソポタミアでは(4)進法が基本的に使用されていたのに対して、インドでは古くから10進法が用いられていた。10進法の位を表す「十、百、千、万」などの語は、すでに古代インドの神々への賛歌集である『(5)』にみられる。インドの記数法や計算法をとり入れてアラビア数学の基礎を築いたのが『代数学』を著した(6)である。彼の名前はラテン語化されて「アルゴリズム」となり、現在でも情報科学の用語として使用されている。
ヨーロッパの学問が本格的に発展し始めるのは、12世紀を中心とするいわゆる「大翻訳時代」を経た後である。この時代にアラビア語の学術書を大量に翻訳することによって、ヨーロッパ世界は、ギリシアの学問とそのイスラーム世界における発展をわがものにすることができたのである。それ以前のヨーロッパ世界は、古代ギリシアの学問をほとんど知らなかったといってよい。たとえば、スコラ学は、教父(7)の思想を基礎に、アリストテレス哲学をとり入れて体系化されたといわれるが、アリストテレスの著作のほとんどは、北イタリアやイベリア半島で12世紀にアラビア語あるいはギリシア語からラテン語に翻訳されている。医学に関してもイスラーム医学の影響は非常に重要である。ヨーロッパの医学の祖とされる3人のなかには、(8)、ガレノスとならんでイラン系のイスラーム教徒(9)が含まれ、彼の『医学典範』はヨーロッパ各地の大学の医学部で長く教科書として用いられた。
このような歴史的経緯をふまえると、イスラーム世界の学問とアラビア語という媒介なくして、中世ヨーロッパの学問を考えることは難しいといえるだろう。ギリシア語の知識が広まることによって、古典古代の文化の研究が盛んに行われるようになるには、ルネサンス期を待たなければならない。
問1 ヘレニズム時代には、アッティカ方言を基礎に各地の方言が混じって共通語が作られ、新約聖書もこの共通語で書かれた。この共通語を答えよ。
問2 12世紀前半、イベリア半島のトレドに翻訳学校が創設された。この時期、トレドを都としていた王国を答えよ。
問3 トレドの位置を下図のA〜Dから選べ。
答え
1( )2( )3( )4( )5( )
6( )7( )8( )9( )問1( )
問2( )問3( )
解答
1(コーラン)2(エウクレイデス)3(ゼロ)4(六十)5(ヴェーダ)6(フワーリズミー)
7(アウグスティヌス)8(ヒッポクラテス)9(イブン=シーナー)問1(コイネー)
問2(カスティリャ王国)問3(C)
ヨーロッパ諸国の東南アジア進出
ヨーロッパ諸国の東南アジア進出(津田塾大 改)
次の文の( )に適語を入れ、問に答えよ。
東南アジアはその地理的条件から東西文明の結節点であり、古くから(aヒンドウー文化、仏教文化)などがもたらされていた。この地域の商業活動を主に担っていたのは、(1)人商人、また東からやって来た(2)人商人である。さらに13世紀にはイスラーム教が受容され、(3)商人も加わった。これに参入してきたのが西欧各国である。西欧各国は当初は、(b商業権益の拡大を目指していた)が、18世紀から19世紀には次第に農業開発を重視し始め、国際市場の需要に応じて特定の作物を専門的に生産する大農場を経営するようになった。東南アジアの要衝である(cマラッカ)では、各商人がしのぎを削っていた。内陸部のすず鉱山には(2)人が多数流入する一方、広大な未開地が新しく(4)の大農場に開発された。この(4)の採取には労働力が大量に必要であることがわかると(d当時この地域の宗主国)は自らの他地域の植民地である(1)から多数の移民をこれに投入した。
西欧各国のなかには(e新大陸を経由し(5)洋を渡って東南アジアに進出してきた国)もあり、島嶼部住民を支配し、(6)に改宗させた。ただし、南部では現在でも多数の(3)が居住している。この島嶼部では(7)・タバコなどの大農場が大土地所有制度の下で経営された。
こうして19世紀の終わりには(f東南アジアのほとんどの地域は様々な民族・文明を包摂しつつ西欧各国の植民地)となってしまった。
問1 (a)について、次の@Aの遺跡名をあげ、それぞれの位置を下図の記号で答えよ。
@9世紀前後にシャイレンドラ朝によって設立された大乗仏教寺院の遺跡。
A12世紀にスールヤヴァルマン2世によって建立され、後に仏教寺院になった遺跡。
問2 (b)について、イギリス・オランダは1623年アンボイナで衝突した。この事件以降、イギリスはこの地域から撤退し、オランダは制海権を得て、自らの民族名にちなみバタヴィアに改名していた都市を中心に、この地域の支配を確立した。@アンボイナ、Aバタヴィアの位置を下図の記号で答えよ。
問3 (c)の位置を下図の記号で答えよ。(d)(e)の国名を答えなさい。
問4 (f)について、東南アジアで唯一植民地化されなかった国がある。その国を答えよ。また、その国の首都を下図の記号で答えよ。
答え
1( )2( )3( )4( )5( )6( )
7( )問1@( )( )A( )( )問2@( )A( )
問3c( )d( )e( )問4( )( )
解答
1(インド)2(中国)3(ムスリム)4(ゴム)5(太平)6(カトリック)7(サトウキビ)
問1@(ボロブドゥール)(k)A(アンコール=ワット)(d)問2@(n)A(j)
問3c(g)d(イギリス)e(スペイン)問4(タイ)(c)
『世界史文化史・地域史問題(CD-ROM版)』はさらに
・「Word」「一太郎」を利用して、改作や、独自の問題文などを付け加えることが可能です。
・「地図」「図解」のみをコピーして貼り付け独自の問題を作成することが可能です。