最終更新日2024年12月29日
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世界史の学習室


帝国主義と国内政治・アメリカ

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。

 19世紀末に世界最大の工業国となったアメリカ合衆国では、巨大企業の出現によって自由競争が阻害される一方、東欧や(1)から(2)の大量流入による都市の貧困問題などが意識されはじめた。そのため20世紀初めの政権は、独占の規制や労働条件の改善なと(3)主義と呼ばれる諸改革を実行する一方、西部でのフロンティアの消滅にともない、海外への進出をめざす帝国主義政策が開始された。共和党の(4)大統領は、キューバの独立運動に乗じて、1898年(5)戦争を始め、戦争に勝利した。その結果、(6)やグアム島・プエルトリコなど、スペイン領植民地を手に入れるとともに、キューバに対しては財政や外交を制限する「(7)条項」を認めさせ、保護国化した。
 このような帝国主義的な海外植民地の領有については国内にも強い異論があり、中国に対しては1899年に国務長官(8)が門戸開放政策を提唱したように、経済進出に力点をおく政策もあらわれた。暗殺された(4)にかわって大統領に昇任した共和党の(9)は、中米諸国にしばしば武力干渉をおこなうとともに(これを「(10)外交」と呼ぶ)、(11)運河の建設など、積極的な(12)海政策をおしすすめた。また、次の(13)大統領の時代には、中米や中国への投資が積極的におこなわれた(これを(14)外交と呼ぶ)。
 1913年に大統領になった民主党の(15)は「新しい自由」をかかげ、国内政策では大企業を規制する(16)法の強化や関税引き下げ、労働者保護立法などを実施した。対外的には、アメリカ民主主義の道義的優位を説く「(17)外交」をおしすすめたが、内戦状態の(18)に軍事介入し、1914年に(11)運河が完成すると、その管理権をにぎるなど、中米やカリブ海地域での覇権を確立した。

帝国主義と国内政治・アメリカ


帝国主義と国内政治・アメリカ2


(センター試験 改)

 アメリカは工業生産額において19世紀後半にはイギリスを凌駕するに至った。これに関連して、次に掲げた図は、1780年から1900年にかけての世界の工業生産額中に占める主要諸国の比率を示すものである。図中のcに当てはまる国の名を、下の@〜Cのうちから一つ選べ。

@ フランス  A イギリス  B ロシア  C ドイツ

帝国主義と国内政治・アメリカ3


解答 @
解説
 問題文の「アメリカは工業生産額において19世紀後半にはイギリスを凌駕するに至った」とあることから、aのグラフはトップの状態から右下がりとなり、アメリカのグラフと逆転していることから、aがイギリスとなる。
 cは初めイギリスに次いで工業が発展していたことから、フランスとなる。なお、bはドイツ。

答え
(1         )(2         )(3         )(4         )
(5         )(6         )(7         )(8         )
(9         )(10         )(11         )(12         )
(13         )(14         )(15         )(16         )
(17         )(18         )(19         )(20         )
(21         )

解答
1南欧 2移民 3革新 4マッキンリー 5アメリカ=スペイン(米西) 6フィリピン
7プラット 8ジョン=ヘイ 9セオドア=ローズヴエルト 10棍棒 11パナマ 12カリブ
13タフト 14ドル 15ウィルソン 16反トラスト 17宣教師 18メキシコ 19キューバ 20パナマ
21プエルトリコ



(この問題は『世界史標準問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『世界史地図・図解集』に収録されています。)