小説の部屋
秘 密
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上舘 かなる
見える。見えすぎるのだ。
自分には他人には見えないものが見えていると気づいたのは10歳のときだ。
あれはポプラの綿毛がまう6月の中ごろだったろうか。空気は乾燥して白い綿毛が無数に中空を舞っていた。
「シュウくん、ほら、雪みたいでしょう」
文学少女崩れの母は、青空に舞う白い綿毛を追うように手を差し上げた。
ぼくはそれより乾燥した空気が苦手だった。鼻腔に綿毛が入り込んでくるような気がしてベランダの硝子戸からほんの少し顔を出しているだけだった。
そのとき、アーチ型に巡らした蔓薔薇の門からうら若い女性が姿を現した。
「真理じゃないの」と母は驚いて駆けだした。
「シュウ、真理おばちゃんよ」
ぼくはベランダに置いてあった母のサンダルをつっかけ、庭に出た。
真理は母のたったひとりの妹だった。母はよくぼくに真理おばさんの話をした。
8歳も離れているこの妹をどんなに愛しんだか。姉妹の母親、つまりぼくの祖母だが、その祖母が若いころから病弱だったために、手塩にかけて育てたのは自分なのだと、母は言った。
真理おばさんは勉強も習い事もさほど苦労せずにそつなくこなし、母が一浪しても入れなかった大学の医学部にストレートで合格した。母のほうは看護学部に志望を変え、看護師になっていた。
田舎町で診療所を開いていた祖父にとっては将来を託す頼もしい娘で、母にとっても自慢の妹なのだった。
なのに真理おばさんは、ある日、誰にも相談せず大学を中退して家を出てしまったのだという。翌日、どうしてもやりたいことがあって大学をやめたこと、誰にも迷惑をかけずに暮らしていくつもりだから探してほしくないことなどを簡単に記した手紙が届いた。
祖母はそんな心労も手伝ってか体調を崩し、半年後には亡くなってしまった。八方手を尽くしても真理おばさんの居所は分らず、訃報を知らせることもできなかった。
母が婿を取って診療所を継いでくれることを祖父は希望していたが、母は都市部の大病院で研修医と恋に落ち、結婚してぼくを産んだ。30歳のときである。だが、その結婚は3年も経たずに破綻してしまった。ぼくがまだ3歳の誕生日を迎える前である。
母はぼくを連れて祖父のもとに戻った。
けれども、それから1年もしないうちに祖父は倒れ、寝たきりになってしまった。診療所は閉所を余儀なくされ、母は子育てと祖父の世話に忙殺されるようになった。
母はよくぼくを相手に悲嘆し、真理おばさんのことを「あんなに手前勝手で冷酷非情な人間に育てたつもりはないのに」と口を極めて罵っていた。
それからしばらくしてようやく届いた真理おばさんからの手紙には、北関東の高原地帯で農業をしながらペンションを経営していることが書かれ、メルヘンチックな建物の前で微笑む真理おばさんとずいぶん年の離れた男性の小さな写真が同封されていた。
母は手紙を書き送ったはずだが、訪ねていくことはしなかった。
母が怒りや恨みを口にしないで真理おばさんを懐かしむようになったのは、祖父が亡くなってからである。親類縁者との付き合いも途絶え、すると血を分けたたったひとりの妹がとりわけ愛おしくなってきたのだと思う。
「真理はね、同じ親から生まれたとは思えないほど、なにからなにまで優れていたの。びっくりするほどきれいな女の子で、こんなにきれいだと早死にするんじゃないかとママは心配したくらい。自慢の妹だった」
その真理おばさんは、自分の両親の葬式にも来なかったくせに、また何の連絡もなく突然我が家に現れたのだ。
実の妹とはいっても、面差しも体格も母には似たところがなく、母の娘といっても通るほどまだうら若い女性に見えた。
母は当時40歳になったばかりのはずだが、たくさんの悲しみと苦労を抱え、そのうえ人並み以上に地味にしつらえていたから実際の年齢よりずっと年上に見られた。今のほうがよほど若く見えるくらいである。
ともかく当時は決して豊かとはいえない家の切り盛りをしながらぼくにだけは不自由をさせまいとして切り詰めた生活をしていたせいで、母はすっかり所帯じみていたのだ。
そこへ妹の真理が突然訪れた。
真理おばさんはよく見るとさほど若くはないと知れたが、抜けるように白い肌と、どこか陶然としたまなざしが不思議な美しさを醸し出していた。そのまなざしに時折哀しみの陰がよぎるのを敏感なぼくは察知した。
ほとんど化粧気のない白い肌は本当に熱い太陽の下で畑を耕していたのかと疑いたくなるほどつややかだった。
真理おばさんはアプローチの飛び石に足を乗せたまま、母の顔をしばし見つめていた。
「真理ちゃん」母は小さく叫ぶように言うと、駆けだして、次の瞬間には真理おばさんを抱きしめていた。
「姉さん」
一つ遅れてつぶやいた真理おばさんの声は、少しかすれて物憂げだった。
「ごめんなさい、あたし」
真理おばさんはあえぐように言って、母の胸ですすり泣いた。
「いいのよ」母は、何度も真理おばさんの背中をなで、「帰ってきてくれただけでうれしい」と泣いた。ずいぶん長い時間そうしていたような気がする。
互いに体を離して微笑みかわすと、ようやくぼくの存在に気付いてくれた。
「シュウ、いらっしゃい。真理おばさんよ」 母は真理おばさんの手にあった小さなボストンバックを代わりに持つと、その華奢な体を抱きかかえるようにしてぼくの前にやって来た。
「こんにちは」
ぼくはとりあえず挨拶の言葉を口にしたけれど、目はずっと真理おばさんを、いや真理おばさんのスカートのあたりを凝視していた。小さな女の子が足元にもつれるようにして、時々ぼくのほうを見ていたからである。
抱き上げてやらねばならないほど小さいのに、母も真理おばさんもまるで無頓着なのだった。ぼくはなぜかそのことを言えずにいた。
母は真理おばさんを家に入れ、まずは廊下の右手にある仏間に通すと、自分は反対側にある台所に駆け込んだ。ぼくは迷わず母の傍へ行って、そっと訊いた。
「あの子、真理おばさんの子なの」
ぼくは、真理おばさんの足元にまつわりついていた女の子のことを訊いた。
真理おばさんは仏壇の前で長い間瞑目していたが、いまは欄間にかけてある祖父母の写真の前に立っている。襖はすべて開け放してあるから、ちょっと身体をずらせば台所にいるぼくたちからおばさんの姿を見通すことは可能だった。ぼくは開口部の壁に隠れるようにしておばさんの足元をそっと見つめつづけていた。
母は瞬時に狼狽の色を目に浮かべた。それから「馬鹿なこと言わないで」とぼくよりもっと小さな声でささやいた。
そしてすぐに真理おばさんのいる仏間に行き、居間のソファに腰掛けるよう勧めると、
「ひとりで来たの。ペンションていま頃は一番忙しい時なんじゃないの。だんな様、よく出してくれたわね」と興奮した口調で、矢継ぎ早に問いかけていた。
ぼくは、母がわざわざぼくに聞かせるために言った「ひとり」という言葉にひどく驚いていた。
真理おばさんの陰に隠れるようにして時々ちらちらとこちらを見ていた女の子は、ぼくだけにしか見えていないということなのか。
確かに、ぼく自身も何かしら違和感を感じてはいたのだ。さっき、女の子の白い脛を透かして石畳の脇に咲くマリーゴールドが見えていたりしたからだ。
ぼくの眼は執拗におばさんのスカートのあたりを注視した。ぼくを見て確かに女の子は微笑んでいるように見えた。
その夜のことだった。真理おばさんが二階に引き上げると、母は居間の戸をきっちり閉めてぼくを手招きした。
母はとりわけ小さな声で訊いた。
「シュウ、いつから見えるようになったの」
「えっ、なんのこと」
ぼくはそう問い返して母の目を覗き込んだ。母にも女の子の姿が見えていたということだろうか。
「だから、見えていたんでしょ、女の子のこと。おばさんのそばに」
「うん」ぼくはゆっくりとうなずき、「ママにも見えていたの」と聞き返した。
「ええ」母は小さくうなずき返した。
「でも、本当はいないんだよね。あの女の子は、幽霊なの」と、僕は勢い込んで訊いた。
「シッ」と母は口に人差し指を立て、「シュウ、そんなこと間違っても他人に言ってはだめよ。特に真理おばさんには。ママとシュウだけの秘密。わかったわね」と念を押した。
母の言葉から「見える」ことは決して他人からは歓迎されないことらしいと気付いた。
真理おばさんが自分の不注意から2歳になったばかりの娘を失ったと知ったのはもっと後のことだ。娘を亡くしてから男の人との関係も気まずくなり、それからしばらくして山菜取りに出た男の人は遺体となって戻ってきた。真理おばさんは、ほんとうに独りきりになって実家に戻ってきたのだった。
初めて真理おばさんの側に女の子の姿を見てからしばらくは何も見えなかった。
そのうち、そんなことさえ忘れるようになっていた。毎日が良い意味でも悪い意味でも刺激に満ちていたからだ。
再び、普通の人には見えないものが見えるようになったのは、高校生になってからだ。母との約束もあの日の衝撃も忘れたころ、ぼくはまた頻繁に見るようになった。
一度は図書館の大テーブルの向こうにぼくにだけ見えている少女に話しかけ、そばを通った同級生に軽侮に満ちた目でじろりと見られてしまった。
またあるときは部活の打ち上げの会場で、皆が席に着いた後にやってきた女生徒のために慌てて椅子を用意し、皆の顰蹙を買った。 そのうち、ぼくは皆から「変な奴」と見られるようになっていた。
霊現象がテレビや雑誌に面白半分に取り上げられ、好奇心旺盛で怖いもの見たさの若者たちが、わざわざ心霊写真を撮りに心霊スポットなどに訪れるような昨今さえ、実際に「見える」人間がそばにいるのは誰にとっても薄気味悪いようだった。
「見える」という人間はぼくばかりでなく、クラスに一人二人はいた。けれど、ぼくのように日常的に見てしまうのではなく、ごくたまに事実か錯覚か本人にも判別がつかない程度に見えてしまうことがほとんどだった。そんな奴はけっこう自慢話のようにして語りたがる。
けれど、そんなことは勲章でも手柄話でもない。
おかしな失敗を重ねるうちに、ぼくは実態のある人間とそうでない人との違いが分かるようになってきた。だからいまでは人前で声をかけてしまったり椅子を用意したりというような危ない行為をすることはなくなった。けれど高校時代のぼくは周りから遊離した明らかに「おかしな奴」だったのだ。そんなこともあって、ぼくには親しい友人は一人もいなかった。僕自身、クラスメートとは極力接触しないようにしていた。
会えば、「おまえ、いまも見えるの」などと決まって訊いてくる。面白半分に話を愉しみたいのと、後でぼくのことを話題にして嗤い合いたいだけなのだ。
それでいながらぼくがそれほどひどいいじめの対象にされなかったのは、「見える」ためだったと思っている。
彼らは見えない力の報復を恐れるために、ぼくに対してだけは暴力や脅しの手段を使えなかったのだと思う。
無視されたり、自分のいないところで悪口を言われたりすることには意外と平気だった。
ぼくはこの春から保育士を養成する専門学校へ通いだした。
家には真理おばさんが同居している。精神が不安定で、時々心療内科に通っている。
祖父の病床にも侍らず、その訃報にも帰ってこなかったのは、おばさんにとってはとんでもない借金を背負って始めたばかりのペンションを軌道に乗せるために必死だったからだ。けれども、その必死さが仇になって子どもの異変に気付かなかった。
大切な子どもを失い、夫となった人とも死に別れペンションも人手に渡して、それでも背負いきれない負債を抱え、生きる希望さえ失って戻ってきた。
借金は祖父の残してくれたものでほぼ完済したが、両親や子どもへの自責の念から解き放たれることはないようだった。
母は町の病院で看護師として働いていた。看護の仕事に生きがいを見出し、ぼくと真理おばさんの面倒を見ながら懸命に生きていた。ぼくは県庁所在地にある高校を卒業すると、国立大学に進もうとしていた。別に何をしたいとも考えていなかったけれど、とにかくそれが母に負担を掛けずにすむことなのだと思ったからだ。ぼくができるのは母に心配をかけないようにすることだけだった。
ところが、ぼくは高熱を出して大学の二次試験を受験することができなかった。
そんなぼくが保育士になろうと思ったのは町の児童館でアルバイトをしたことがきっかけだった。児童館の職員になるためには保育士資格が必要だと現場の職員に教えられた。他人と接するのはあまり得意ではないし、とりたててやりたいことも見つからないので、子ども相手の仕事なら愉しくできるだろうと思ったからだ。
安易な動機だし、母も手放しでは喜ばなかった。それでも、息子が人との関わりに臆病なことを知っている母は、これ以上心を病む家族を増やしたくないと思ったからか、家を出て都市部の専門学校へ通うことを認めてくれた。ぼくが通うのは保育士資格と幼稚園教諭の資格を同時に取れるコースだった。
「シュウ、これは自分に合わないと思ったら、いつでもやり直していいからね」
母はそう言って送り出してくれた。
ぼくの考えの甘さを指摘してくれたのは専門学校の担任だった。
ぼくは少しだけ腹が立った。オープンキャンパスでぼくがその手のことを打ち明けると、若い教師たちは「そんな子がたくさん来ているよ」と、さもそういう人間にこそふさわしい学校のように印象付けていたのだ。
で、実際に来てみると、それではいけないという。
「この3年間で人間関係の苦手意識を克服しよう。それが君の当面の目標だ」
担任になった相原由佳子先生は言った。
相原先生の差し金なのか、そのうちクラスメートの一人が頻繁に話しかけてくるようになった。最初の頃、それがひどく煩わしくてぼくは話しかけられないように授業ぎりぎりに登校したり、昼休みになると近くの福祉センターの図書室に逃げ込んだりして接触を避けていた。
なのに、彼、篠田皐月はめげずにぼくの傍へ来た。これも相原先生の仕掛けかもしれないけれど、グループ学習のときは決まってぼくは皐月のグループになった。いつもくじで決めるのだが、相原先生がきっと誰かとぼくの名前を差し替えているに違いない。
「俺さ、名前がこんなだろ、女の子といつも間違えられてさ、中学に入ったとたん、イジメだよ。父ちゃん母ちゃん、五月に生まれたからって安易に名前つけんなよ、てちょっとは恨んだけどさ、俺、案外、この名前好きなの。それに俺、めげないしさ。いや、あの頃は結構めげてたかもしんないけどね」
彼も本当のところ、ぼくと変わりがないのかもしれない。十分傷ついて、人間が怖くて。だけどぼくみたいに内向しない天性のおおらかさを持っているから、それがこの、心優しいクラスメートの中でのびやかに発揮され始めているのに違いない。
子どもや何かしらハンディのある人相手の仕事をしたいと考えてくる人たちばかりだから、このクラスには悪意や競争心でギラギラしてる奴はいないように見える。
逆に純粋でナイーブで、先生が言うようにちょっと心配な奴らばかりだ。中には最初のぼくみたいにかかわりにならないよオーラを出しまくっている奴もいるけれど、敵視したり無視したりすることもない。
そのうち皐月はぼくにとって唯一の大切な友だちになった。ぼくは皐月に訊いてみたことがある。
「ねえ、なんでぼくなんかと仲良くしようと思ったの」と。
すると、皐月はいつものように目元のあたりをほんの少し赤く染め、ニッと笑って、
「わかんね。シュウ見てると心配になるんだよね。なんかさ。よけいなお世話なんだけどね、ほっとけないのさ、迷惑?」と逆に聞いてきた。
「最初はちょっと迷惑だった。だけど、皐月のは、かまってやってる感なかったから」
とぼくは素直に答えた。皐月は小さく笑って、
「ホント、おまえってプライド高いよな。したけど、そういうの俺、キライじゃないよ」
といって、ぼくの肩をたたいた。
皐月はバイト帰りにぼくのアパートにふらりと寄ってくれるようになった。
ぼくはいつのまにか「見える」人間であることを告白していた。皐月は一瞬、複雑な表情をしたけれど、今まで周りにいた誰彼のように茶化したり、薄気味悪がったりはしなかった。却って「それってさ、きついことなんだろう」とぼくを気遣ってくれた。
「シュウさ、俺のそばになんか見える?」
しばらく経って、皐月は生真面目な顔でそんなことを言い出した。
「見えないよ」とぼくは歯切れ悪く答えた。
「気をつかわなくていいんだよ。はっきり言ってくれ」皐月はじっとぼくの眼を見る。
「男の子が見える。時々ね。小さな、まだヨチヨチ歩きみたいな子が。アヒルの絵が付いた涎掛けをしているよ」
「マジ?」、皐月の顏は瞬時に青ざめた。
「ほら、だからいやなんだよ」
「自分から言い出しておきながら、ごめん」 皐月は素直に謝った。「俺さ、弟亡くしているんだよ。俺が五歳のとき。弟は一歳半だった。俺の不注意なんだ。夏でさ、家の庭にビニールプール出してもらって水遊びしてたんだ。そばに母さんもいて。玄関にお客が来て、すぐ戻るからちゃんと見てるんだよって言われて。俺、おどけてバシャバシャやってたら、弟も真似して、で転んじゃったんだよね。重たくてさ、抱き起せなくてさ、わあわあ泣いて、母さんが慌てて飛んできたんだけど、結局、弟は、助からなかったんだ」
皐月は目を真っ赤にして唇を震わせた。
「ぼく、なにがわかるわけではないけれど、恨んでなんかいないと思うよ。なんかさ、見えるとき感じるんだよね、重たいとか、ふわっと軽いとか。皐月の傍にいる子は軽い」
「ホント? 気休めじゃないよな」
ぼくはまじめな顔をしてうなずいた。
「シュウに訊いてよかった」
皐月はほっと息をついて、笑顔を見せた。
皐月に語ったことは嘘ではなかった。それがなぜなのかよくはわからないが、その人の最後の思いの質量みたいなものではないかと思っている。
11月に入って幾日も経たないある日のことだった。その年は暖かい秋だったせいか、街路樹にはまだ紅葉した葉が残っていた。
昼過ぎからじくじくと雨が降り出し、夕暮れになって雨は小やみになったもののうそ寒く、街路樹に隠れているせいか電燈も薄暗い。濡れた道には楓や銀杏の葉が踏みしだかれ、ときおりひやりと冷たい風が首筋に紛れ込んできたりした。
西の空にまだ厚い雲が層をなし、残照を受けて臙脂色に染まっていた。なにか胸の底に冷たいしずくが一滴、一滴と溜まっていくような気がした。
車の往来はもちろん、人通りさえあまりないこの辺りは、ひときわひっそりとしている。
通り2つ向こうの踏切が「カンカン、カンカン」と鳴り、列車の音が迫ってくる。
10メートルほど手前で、ぼくは、自転車のブレーキをかけて片足をついた。
内側に灯をはらんだ列車が警報のような音を立て轟音を上げて通り過ぎる。
そのとき、赤い車体の上に、入道雲みたいに分厚くて真っ黒な塊が、もくもくと肥大しながら立ち上っていった。
それはいままでぼくが見たこともないような恐ろしいものだった。とてつもない重量感をもった強い波動が、あたりの空気を圧殺するように押し寄せてくる。
その瞬間、ぼくはいきなり頭をガンと殴りつけられたような衝撃を受けていた。思わず、アッと叫んで自転車ごと横倒しになった。
「誰かが死んだ」とっさにそう直感した。
その直後、列車はピーという甲高い音を引いたままずっと先で緊急停車した。
ぼくは金縛りにあったようにその場から動けなくなっていた。自転車の下敷きになっているのにそれを押しのけられないほど全身から力が抜け、カタカタと震えていた。
ぼくは横倒しになった自転車の下で、うつ伏せて目をつむっていた。
そうしていてさえ、真っ黒い入道雲みたいな固まりから放射される重くて暗い気配のようなものがぼくを直撃し、頭といわず胸といわず強い力で縛り上げてくるように思われた。僕はわれ知らず、怖い、と呟いていた。
それは、いまだかつて経験したことのない感覚だった。僕は全身の震えをどうすることもできなかった。
あのおどろおどろしく真っ黒い塊はなんだったのだろう。もし人の憎悪や悪意が形を持つとしたら、恐らくこのようなものだろうとぼくは思った。
どのくらいぼくはそこにいたのだろう。
気が付くと、パトカーや救急車のサイレンの音が、けたたましく夜のしじまをなぎ倒していたのだった。
どのようにしてアパートにたどり着いたのか。足が震え、自転車にはどんなにしても乗ることができなかった。何十倍にも重く感じる自転車を押して、それでも僕はアパートまで帰ってきた。
帰ってこれたことが不思議なほど、ぼくは弱り切っていた。肺が水浸しになったように身体が重く、息をあえがせ、がくがく震えながら、やっとのことでドアを開けたのだ。
靴を脱ぎ、這うようにしてベットによじ登ったのは、それからずいぶん経ってからだ。
厚い布団にどうにかもぐりこみ、時々自分の意思と関係なくおかしな方向に動く手足を収めようと抗ったが、それでも震えは止まらなかった。
そのうち眠ったらしい。苦しい眠りだった。絶えず恐ろしい夢にうなされ続けていた。
目を覚ますと下着もシーツも汗びっしょりになっていた。絶え間なく悪寒が走り、歯の根も合わないほど震え続けていた。
その翌々日、皐月が心配して来てくれた。何度メールをしても返信がないのをおかしいと思ってくれたのだ。皐月は遅れている授業料の支払いのために昼夜を分かたず働いていた。もし、今回支払いができなければ除籍になるという瀬戸際だった。
「シュウどうした? 無断欠席なんて、シュウらしくないし、来てみればドアが開けっ放しだし、ヤバいことになってるんじゃないかと、ゾッとしたよ」
皐月はすぐに持ってきたイオン水を出して飲ませてくれた。
そうでなければ、ぼくは脱水して死んでいたかもしれない。丸二日、固形物はもちろん水さえも口にしていなかったのだ。
ぼくは一部始終を皐月に語った。自分でも支離滅裂で、皐月に分かってもらえるとは思わなかったけれど、皐月は辛抱強くぼくの言葉に耳を傾けてくれた。
「真っ黒い、雲の、塊みたいなものが、ぐんぐん、膨らんで、きたんだ。それは、辺りの、空気をものすごい強い力で、押しやって」
「人身事故、確かにあったよ。夕暮れだろ」
「そう」
あの日、列車に飛び込んで亡くなったのは若い女性だったという。
あのすさまじい悪意の塊がその女性を飲み込んだのか、彼女を死へと導いたものへの彼女自身の憎悪があのような形となったのか、どちらともぼくにはわからない。
けれども、ぼくはそれを見たし、そのもののエネルギーに打ちのめされて瀕死の体で横たわっている。
「シュウ、あんまり深刻に考えないほうがいいよ。シュウのいう通りのことがあったろうと、俺は思う。だけどとらわれればとらわれるほど、生命力が奪われていく気がする。音楽でも聴くか」
皐月はぼくの好きなシューベルトの曲をかけてくれた。
それから約半月、ぼくは一歩も外へ出られなかった。皐月が毎日、学校とアルバイトの隙間を見つけてアパートへ来てくれた。
相原先生からは、このままでは単位を落としかねない、と心配するメールが何度も届いた。皐月を通して親に連絡するのだけは待ってほしいと頼んである。
「シュウ、少しは元気になったか」
皐月がドアから顔をのぞかせると、正直、ぼくはほっとした。
ぼくは気弱に笑って見せるだけだ。
「なんだ、なんにも食べてないじゃないか」 皐月はすぐに湯を沸かし、レトルトのおかゆを温めてくれる。脱水すると困るからといってイオン水と栄養ドリンクを飲ませようとする。ぼくは子どもみたいにイヤイヤをする。
「病院へ行こうか。点滴をしてもらったほうがいいんじゃねえの」
「医者になんていうの。他人の怨念にやられたとでも。精神科へ回されるよ」
皐月は腕組みをして鼻から太い息をもらす。どうしたものかと考え込んでいるのだ。
「まあな。だったら飲めよ。おまえ、自分がどんだけやつれ果てているか、気付いてないだろう。鏡見せてやろうか」
「いいよ、見たくない。わかった。飲むから」
ぼくは起こしてくれというように皐月に向かって腕を差し出す。すっかり皐月に甘えている。
「ほらよ」
皐月はぼくの背を起して枕を差し込みながら、あまりの手ごたえのなさに驚いている。
「皐月、ぼく、おかしいんだろうか」
「おかしくなんかないよ。シュウがおかしかったことなんて一度もない」皐月は即座に否定し、それから意を決したように言い出した。「おれ、しばらくここにいるよ。シュウさえ迷惑じゃなかったらさ」
「ホントに」
ぼくはうれしかった。ぼくの今までの人生で、友だちが泊っていくことなど一度もなかったからだ。いや、友だちと呼べるものさえいなかった。
その日から皐月はぼくの家から学校へ行くようになった。帰ってきて何かしらぼくの世話を焼くと今度はバイト先の居酒屋へ行く。深夜に帰ってくると、ぼくを起さないよう、部屋の隅に二つ折りにしている布団を伸べてそっともぐりこみ、朝、五時には起きて洗濯と食事の準備をする。
実習が始まるとバイトは禁止されるから、今のうちにその分まで稼ぐのだといって、土日は工事現場とコンビニを掛け持ちして昼夜働き続けている。
ぼくと違って、皐月は学費も生活費も一切自分で賄っている。もちろん、奨学金はもらっているけれど、それはすべて借金になるのだという。
皐月がせっかくもらった奨学金を父親に取られてしまったと知ったのは後のことだ。
皐月の父親はろくに働きもしない癖に酒とギャンブルに溺れていた。若い後妻との間に幼い娘もいて、皐月はアルバイトの給金を差し出していたのだ。
ぼくは母の働きで学校へ来させてもらっている。皐月を前にすると自分のひ弱さが恥ずかしくなる。
「最近さ、乙さん学校へ出て来てないんだ。なんか心配でさ、今日、委員会休んで乙さんのところへ行ってきたよ」
帰ってくるなり、皐月は難しい顔をして話しかけてきた。皐月は翌年の2月に行われる学校の祭典のための委員に選ばれていた。
「乙さんて、あの自衛隊上がりの人のこと」 クラスの人たちとほとんど関わらないぼくは、あまり興味も持てずに聞く。
「そう、あのガタイのでかい人」
「最初、ぼく、先生と間違えたんだよね。そしたらニカッと笑って、オレもきみと同じだよって。だけど、ぼくらと雰囲気全然違ったよね。真正面から見られると目がそらせなかった。覚悟が違うんだね。なんかついていけないなって感じで」
「うん。俺たちよりずっと年上だけどね。その乙さんが学校休むなんてありえないだろ。もう一週間だぜ。先生が電話しても全然出ないっていうんだ」
「皐月は誰に対しても親切だよね」
ぼくは多少の嫉妬心をにじませてつぶやいた。
「おれ、聞いてたからさ。乙さんがなぜ自衛隊やめてこの学校へ来たか」
「なぜなの」
「彼さ、子どもの頃小さかったんだってさ。そんでさんざん馬鹿にされていじられて、強くなりたいと思ってたんだってよ。自衛隊に入ったのも本物のマッチョになりたかったからだったって。使命感とか、そんなかっこいい理由じゃないっていうのさ」
「ありそうな話だね。なのになんでやめたのさ。キツかったからなの」
「キツかったと言えばきつかったらしい。だけど本当に体力もつき、弱音を吐かないだけの心の鍛錬もしてきた。やめた直接のきっかけは震災のときの任務だって」
ぼくはあの日のことを思い出した。地震の直前、部屋にあった壊れた時計が突然鳴り出した。ぼくはすぐテレビをつけた。
想像を絶する被害だった。その現実と否応なく向き合い、生とは何か死とは何かを、昼夜を分かたず突き付けられてきた人々がたくさんいた。その中の一人が乙さんだったのだ。
乙さんこと、田谷乙二郎は変わり果てた人々の姿を目にするたびに身裡を抉られるような絶望感に打ちのめされた。とくに幼い子どもを前にすると大声で泣き叫びたくなった。もちろん、彼だけではなかった。皆黙々と仕事をしながら心の中で号泣していたのだ。そのうち彼は夜も眠れなくなった。ついには体の震えが止まらなくなって、現場に出ることはおろか、日常の何もかもができなくなってしまったのだ。
結局、任務を全うできなくなり、帰郷して治療に励んだが、部隊に戻る気にはなれなかった。心的外傷後ストレス障害と診断された。「いまだってフラッシュバックすることがあるらしいんだ。除隊して一年は浴びるように酒ばかり飲んでいたんだってよ。これじゃいけないと思って一念発起してこの学校へ来た。子どもを守りたいと思ったという。なのにさ、この間、実習先の保育園でたくさんの子どもたちに会ったとたん、またあれが始まってしまったらしい。震えて一言も話せないまま、逃げるように帰ってきたというのさ」
ぼくはなんと答えたらいいのかわからなかった。
「シュウさ、いや、やめとく」
「聞きたいことわかるよ。ぼくも言いたくない」
「うん。乙さんさ、また酒浸りなんだ。もう、学校へは戻れないかもしれないって言ってたよ。俺らには何にもできないけど、時間を見つけてそばにいてやろうと思う」
「ぼくは何もしてあげられない」
「おまえはいま、その得体のしれないものからまずは自分を救いださなくちゃならないよ」とつぶやいて皐月は小さくため息をついた。それから少し言いづらそうにして「事情は相原先生に言っておいたけど、そろそろ行かないと単位ヤバいんじゃないの、おまえ」と言った。
「うん、来週は行く」とぼくは力なく答えた。このまま訳の分からない力に打ちのめされているわけにはいかない。
少しずつ起きていられるように努力してはいたのだ。けれども、自分でもはっきりわかるほどに消耗していた。
「ホントか。マジ、うれしい」
「皐月さ、ぼく風呂に入りたいんだけど、お湯いれてくれる」
「おうおう、たやすい御用だ」
皐月はいそいそと風呂の用意にとりかかった。ぼくは皐月の前で裸になることは気が進まなかったが、支えてもらわねば浴槽にも入れない。皐月は案の定、ヒェッと小さく叫び、
「シュウ、ガンジーだよガンジー、ヤバすぎだぜ。風呂から上がったら食べろよ。俺、口をこじ開けてでも食わせるからな」と言った。
ぼくは皐月のおかげで翌週には学校へでられるようになった。許容される欠課はもう一日も残っていなかった。
月曜日、登校するとすぐ職員室に出向いた。この専門学校では、職員ミーティングや試験期間以外、職員室のドアは全開になっていて、学生は登校すると必ずここで静止して挨拶をする決まりになっていた。
「おはようございます。一年B組の小畑周です。相原先生よろしいですか」
「おはよう。シュウ、やっと来たね。よかった。これで今日も来なかったら、君にはわるいけど、母さんに連絡しなければならないと思っていたのよ」
相原先生はとっさにぼくのファーストネームで呼びかけて、すぐに立ち上がってきた。学校の規則では、教員は学生を「姓にさん付け」で呼ばねばならないことになっているらしい。教師と学生のけじめは大切で、なれ合いはよくないと言われる。
しかし、「小畑さん」などと呼ばれると脇のあたりがこそばゆくなってくる。
就職をしたらどこでも「さん付け」なのだから当然だと学校側は言う。
だけど、学校生活は人生の中の特別の時間なのだから、そこまでこだわらなくてもよいのではないかと、ぼくなんかは思ってしまう。 特にぼくのようにここへ来て初めて教師からファーストネームで呼んでもらえた者にとっては、ガタガタ細かいことを言うなよ、と言いたくなる。
「痩せたんじゃないの」相原先生はしげしげとぼくを見て嘆息した。「皐月に聞いていたけど、ここまでひどいとは思わなかった。授業終わったら一階の相談室に来て」
今日の授業は児童心理学、保育原理、文章表現、ピアノの4つだ。1講90分の授業はさすがに疲れる。4時20分に授業が終わると掃除当番を済ませ、相原先生に指示された相談室に行く。
相談室はひしゃげたドーナツ状のテーブルに椅子が四脚置いてあるだけの殺風景な部屋だ。ぼくは入り口近くの窓の見える椅子に座り、相原先生を待つ。
今年は雪が遅く、11月の中ごろに初雪が降ってから、ほとんど雪は降っていない。ここ数年、クリスマスの頃になっていきなり本格的な雪が来てそのまま根雪になるというパターンが続いている。今年もそうなりそうだ。
何日か前に大風と雨にやられて街路樹はすっかり裸になってしまった。道端に裏白の葉がたくさん落ち、まるであたり一面にティッシュでも捨ててあるみたいに汚らしく見えた。誰かがごみを捨てたのかと眉をひそめてよく見ると、葉っぱなのだった。早く雪が降るといい。モノトーンの景色がぼくは好きだ。吹雪になぶられながら歩くのもいい。軟弱な魂が少しは鍛えられるような気がする。
「待たせたね」
相原先生はドアを乱暴に開け、息を切らして入ってきた。定年間際の女の先生だけれど、ぼくたちなんかより余程バイタリティーがある。40代で夫を亡くし、1男2女を育て上げたという肝っ玉母さんでもある。
「疲れた顔をしているね。すぐ終わるから。帰りは送っていくよ。車で来てるから」
相原先生は、冬休み明けに行われるぼくの実習について、実習先の園とそれまでの準備について知らせてくれた。
前回の実習でD判定を取った数人が再実習となっていた。ぼくはなぜか担当の保育士に嫌われ、ほとんど何もさせてもらえなかった。皐月は実習園からの評価も高かったのに、途中インフルエンザにかかり、あえなく再実習となっていた。
相談室を出て玄関の前で相原先生の車を待った。相原先生はシルバーのセダンを校舎脇に停車させると、ぼくを助手席に乗せ、滑らかに走り出した。普段はせわしない人だけれど、運転は落ち着いている。
10万キロをとうに超して乗っているのでそろそろ買い替えなくてはならないとぼやく。
「シュウ、きみ、ほんとに保育士になるつもりなの。立場上こんなこと言ってはいけないんだけど、選択まちがったんじゃないのかと思ってね」
日頃から漠然と感じていたことをずばりと言われてしまったので、ぼくはどきりとした。「体力、ないんですよね」とぼくは言った。
「どんな仕事をするにしろ、体は鍛えておかなくちゃならないよ。特に保育の仕事は体力いるよ。子ども相手だから楽だと思った?」
相原先生はそんなことは論外だというように、即座に言った。
「大学は受けなかったの。高校時代の成績、悪くなかったと思ったけど。時々、君みたいなのが来るんだけどさ。大人に幻滅していたり、人間関係で傷ついてひどく臆病になっていたりする子がね。入ってきてすぐに選択を間違ったんじゃないかと悩むよ、みんな」
その通りだったので、ぼくは何も答えられなかった。
「親に大金払わせてるからね。なかなか決断が付かないと思うけど、よく考えた方がいいと思うよ」
「他の先生はやめるなって説得するというのに、先生は違うんですね」
「保育士資格が役に立つことは確かだよ。施設や児童相談所なんかにも勤められる。でも、君を見ていると、どうもこの仕事は向かないんじゃないかという気がしてね。見当違いだったら、ごめん」
「いまは、それとは関係ないことで、ちょっと打ちのめされているんで」
ぼくは、思わず悩みを口にしてしまった。
「大体のことは皐月から聞いているよ」
「やっぱり」僕はほんの少し落胆した。
「皐月は本気でシュウのこと心配してるんだよ。興味本位でべらべら喋る子じゃないよ」
「それはよく分かっています。馬鹿げたことだと思ったでしょう」
「いや、そうは思わないよ」と、相原先生はすぐに言った。「若い時は言下に否定したけど、自分もそれなりに不可思議な経験をしてからは、そんなこともあるんだろうと思うようになった。この歳になると、人間なんて一生生きても万分の一も世の中のことを知らずに死んでいくんだろうなと思うよ」
「先生の経験て」
「そんな大したことじゃないけど、らしきものを見たり、ラップ現象とか。その時は、大いに驚いたけどね。それより、友人の話をしたいな」
相原先生はぼくのアパートの傍にあるファミリーレストランの前に車を止めると、
「シュウ、ご飯食べていこう」と言って、ぼくを促した。
ぼくも久しぶりに空腹を感じだしていたので素直に従った。ぼくたちは国道の見える窓際の席に案内された。「蕎麦なら食べられるだろう」と勝手にお寿司と蕎麦のセットを頼むと、相原先生はさっきの続きを話し出した。
「去年亡くなった友人の話をするね。とっても不思議な雰囲気の人で、雨の日のトイレで、彼女が入ってきたとたん、突然、手洗い場の水が流れ出したの。手をかざすと流れるタイプの蛇口あるでしょ。ドアから結構離れてるのに、彼女が引き戸を開けて一歩中に入ったとたん、ジャーだもの。彼女もいろいろ見る人だったね」
そういって、相原先生は、その友人が心臓の病で個室に入院していた時、毎晩、見知らぬ患者が現れ、「私は何年何月何日に死にました」と言って出てきたという話をした。一週間そんなことが続いて、その友人は看護師長に一部始終を話した。看護師長はさっと青ざめ「Aさん、決してそのことを他の患者さんにはいわないでください」と念を押したという。
「話したいのは、そんなことではなくて、そういう諸々の経験を通して、彼女は生と死の境界というのが断絶したものではなくて、地続きだと感じるようになったらしいのね。それから数年後、末期がんがみつかった」
相原先生の友人は積極的な治療はしないと心に決めた。苦痛をできるだけ取り除く以外の処置はしないと。
「私より一回りも年下の彼女が静かに死を受け入れて逝くことを選択したことに、ひどくショックを受けたわ。何とか生きるための手立てはないのか、生きようと思ってほしいと手紙を書いた」
そして、彼女はセカンドオピニオンを求めて首都へ飛んだ。でも、聞かされたことは同じだった。それでもう心は揺れなかった。それからは過去に出会って同じ時間を過ごした友人たちに再会することに時間を費やした。
今世の別れと友情への礼を述べるために。
そうして半年後、彼女は旅立っていった。来世は、幸福の国ブータンに生まれたいと告げて。そのために財産の一切をかの国に寄付してくれと言いおいて。
「ご主人が彼女の遺言を実行に移したのかどうか、それは知らない」
ぼくはなぜ相原先生がそんな話をぼくにする気になったのかわからなかった。
ただ、ぼくの中にある死や異界への恐怖心をやわらげてやりたいという親切心からに違いない。人並み外れた敏感さのために、気付かなくてもよいことにまで気付いて心をおののかせてしまうぼくの心を、少しでも楽にしてやりたいと思ってくれたのだ。
「ねえ、シュウ、美しいものに心を止めようよ。意識して、美しい景色、音楽、絵画、なんでもいい美しいと感じるものを貪欲に求めてみよう。それがきみの苦しみを和らげてくれるのかどうか、私には確信はないのだけれど。きみの命が哀音とばかり響きあうような気がしてたまらないものだから」
「哀音? 確かにそうかもしれない」
ぼくは相原先生の顔をじっと見つめた。
「人の悲しみに響きあえる心があるということは決して悪いことではないと思うよ。心の中に処理しきれないものがあるのだとしたら、誰か信頼のおける人に、たとえば皐月だとか、聞いてもらうといいよ」
「そんな重たいことを話したら、皐月が耐えられなくなっちゃうよ。といいながら、話しているんだけど。皐月はあんな性格だから、乙さんのことなんかも心配して一杯一杯になっている」
「悲しみや苦しみとばかり響きあうっていうのはさ、つまりきみが生きることに絶望している、と言ったら言い過ぎだけど、希望を見いだせないでいるからなんじゃないのかな」
相原先生はいつも直球でくる。傷口にぐさりと差し込んでくるのだから痛くないわけはない。初めはなんてぶしつけな人なんだろうと思ったものだが、気心が知れてくると、持って回った言い方をされるよりは、ずっと後味がいい。切開されて膿を出される瞬間を超えれば、傷口はぐんぐん快方に向かっていく。
「先生、ぼくさ、変な子だったんだ。母は前向きな人だから愚痴なんかこぼさない。母一人子一人でも何の引け目も感じさせないように、全力でぼくを育ててくれた。いつもぼくを喜ばせる小さなサプライズを用意して。なのにぼく、心から笑ったことがないんだ。母がこんなにぼくのために心を砕いてくれているんだから笑顔でありがとうを言おう、うんと嬉しがってみせようって、演技をするんだけれど、小賢しい子どもだよね」
「そうか、だったらやっぱり、無心な子どもたちの中で癒されるか」
「さっきと真逆のこと言ってますよね」
「だね、ハハハ」
相原先生は豪快に笑った後で、真顔に戻り、「だけどさ、子どもは天使じゃないよ。ま、言ってみれば獣と人間の中間だからね。だけど、まっすぐ関われば響く。関わり方によって光る。原石だからね」
「ぼく自身の命のありようを変えろっていうことですか」
「そりゃ、簡単に変わりっこないよ。ほんのちょっと変えることだって至難の業だ。だけど、ほんの一ミリ変わっても世の中の見え方はがらりと変わるんじゃないかな。すると不思議なもので周りが変わってくる」
「感受の在り方をいちいち変換しなおせばいいってこと? すごく恣意的にしかできないけど、それでぼくの内実が変われるのかな」
「難しいね。だけど、何かに直面したとき、一呼吸置いて、こんなとき皐月ならどう感じるかな、あのおばちゃん先生ならどうかなって、思ってみると少しは違わない?」
「ふうん」
「見えたって見えなくたって、かまわないじゃないの。だけどいちいち怯えちゃいけないと思うよ。ちょっと突き放して見る、その努力をしたらいいのかな。怯えるとのしかかってくるじゃないかな。きみの生命力を鍛えなきゃいけないと思う」
「できるかな」
「大丈夫、大丈夫」
「へへ、いい加減なんだから」と、軽口をたたきながら、ぼくはなんとなく気持ちが軽くなっていた。
それでも、こんなことはやはり、大っぴらに他人には言うべきではないと思う。
人はいろんな思いを抱えながら生きていて、不幸にして辛い思いのまま亡くなってしまうこともあるのだ。
見える人に、せめてつらい心を知ってもらいたいと思っているのかもしれない。自分はその人たちになにをしてあげられるわけではないけれど、辛かったね、悲しかったねと共感してあげることくらいはできる。
傷つくまいと人との間に距離をとってきた今までの生き方を改めてみようと思った。
ただし見えることはできるだけ秘密にしておこう。皐月や先生には知られているけれど、そんなことを他人に喋ってしまうような人間でないことは、ぼくが一番よく知っている。
話しているうちに空腹を感じだした。
ある朝、ぼくは夢を見た。夢には違いないが、あまりにリアルな夢だった。
ぼくの目の前に薄茶色の鳥が止まった。両手で抱きかかえられるほどの大きさの鳥だ。鳥はその小さな目でぼくを見ていたが、次の瞬間、パッと飛んで、いきなりぼくの背中に入り込んだ。ぼく自身が自分の背中に丸ごと入り込む様子が見えるのだから、夢以外の何ものでもないのだが、薄い筋肉も背骨も突き抜けて難なくもぐりこんでしまったのだ。
ぼくが淋しさを感じるとき、悔し涙を流すようなとき、鳥とも知れず人とも知れぬそれは、ぬくもりのある手でそっとぼくの心臓を抱きしめる。すると淋しさや悔しさは跡形もなく消えていた。
ぼくはそのやわらかな羽にすっぽり包まれるような安心感を味わうのだった。
ぼくはときどき皐月とともに乙さんの元を訪れた。ぼくたちは特別なことは話さない。