『世界史地図・図解集(CD-ROM 解説文付き)』の見本図
−世界史を地図でながめると−
2世紀の世界 8世紀の世界 13世紀の世界 16世紀の世界 18世紀なかばの世界
そのほかに、『世界史地図・図解集』では、前2〜前1世紀ころの世界 5世紀の世界 7世紀の世界
10世紀の世界 11世紀の世界 12世紀の世界 14世紀の世界 15世紀前半の世界 17世紀の世界を収録しています。
2世紀の世界
この時代は,東西に大帝国が存在するなかで,両国を結ぶ交易も活発化し,多くの通商国家(パルティア・クシャーナ朝・サータヴァーハナ朝など)が成立・繁栄しました。
東西交渉が活発におこなわれるなか,紅海・インド洋をへる季節風貿易もさかえました。エリュトゥラー海は「赤」を意味し紅海を指しますが,当時は今日のインド洋,アラビア海,ペルシア湾の総称です。ローマ人の航海記が残っています。
「海の道」は東から運ばれたアジアの物産にちなんで「香料の道(スパイスロード)」,「陶磁の道(セラミックロード)」ともよばれました。
日本の歴史
吉野ヶ里遺跡に代表される大規模な環濠集落がつくられる
弥生時代になると,人びとは周囲を濠で囲った環濠集落をつくるようになりました。なかでも佐賀県で発掘された吉野ヶ里遺跡は大規模なものとして知られています。吉野ヶ里は二重の濠に囲まれており,物見櫓や墳丘墓などがあったことがわかっています。
8世紀の世界
西ヨーロッパ文化圏,イスラーム文化圏,東アジア文化圏がならびたち,相互の文化圏の間で軍事的経済的交渉がおこなわれました。バグダードと長安が東西交渉の二大中心として栄え,国際性豊かな唐文化がうまれました。
海の道では,ムスリム商人の進出でマラッカ海峡ルートの港市が活性化し,シュリーヴィジャ王国が繁栄しました。
日本の歴史
710年 平城京遷都
712・720年 『古事記』『日本書紀』が編纂される
752年 東大寺大仏の開眼供養
743年,聖武天皇が大仏建立の詔を宣言したことにより大仏の鋳造が開始され,752年,開眼供養が行われました。東大寺の伽藍は大仏鋳造後に完成しましたが焼失,現在の大仏殿は江戸時代に再建されたものです。
759年 鑑真が唐招提寺を創建
唐の僧鑑真は,日本への渡来を決意したものの何度も失敗を重ね,盲目になりながらも,753年に来日,聖武天皇や孝謙天皇に授戒したのち,唐招提寺を創建しました。
794年 桓武天皇が平安京に遷都
13世紀の世界
13世紀は「モンゴルの世紀」であり,「モンゴルの平和(パックス=タタリカ)」による活発な東西交流がおこなわれました。
モンゴル人は,草原の道とオアシスの道を支配下におき,さらに中国も支配し,大運河を整備して海の道とも結びつきました。
マムルーク朝は,シリアに侵入したモンゴル軍を撃退し,アッバース朝のカリフをカイロに復活させ,メッカ・メディナを保護下におくことによって,イスラーム国家としてのマムルーク朝の権威をたかめました。首都カイロはバグダードにかわってイスラーム世界の政治・経済・文化の中心として繁栄するようになります。
ヨーロッパでは,イタリア商人が活躍します。
日本の歴史
13世紀初め 親鸞が浄土真宗をひらく
法然の弟子だった親鸞は,悪人正機説と絶対他力を唱え,浄土真宗をひらきました。
1205年 『新古今和歌集』が編纂される
鎌倉時代,鴨長明の『方丈記』や吉田兼好の『徒然草』をはじめ,後鳥羽上皇の命で編纂された『新古今和歌集』,平家の興亡が主題の『平家物語』など優れた文学作品がうまれました。
16世紀の世界
ウィーン包囲などを通じてヨーロッパの政治に大きな影響をあたえたオスマン帝国とともに,サファヴィー朝・ムガル帝国が最盛期をむかえました。
一方,これらのイスラーム帝国や北方民族の侵入に悩まされた明とは対照的に,ヨーロッパの海への進出が顕著になりました。
一般にスペインが新大陸,ポルトガルがアジアという支配区分の中で,例外がブラジルとフィリピンです。
日本の歴史
1543年 ポルトガル人が種子島漂着,鉄砲が伝来
1553〜64年 武田信玄と上杉謙信が5度にわたり川中島で戦う
1575年 長篠合戦
織田信長と徳川家康の連合軍が三河の長篠で武田勝頼軍と戦いました。この合戦で信長は足軽鉄砲隊を使い,武田の騎馬隊を撃破しました。
1582年 本能寺の変
織田信長が配下の明智光秀によって京都の本能寺で討たれます
1590年 豊臣秀吉が天下を統一
18世紀なかばの世界
17世紀は「帝王の世紀」とよばれ,専制国家が並び立つ繁栄期でした。18世紀の世界では,それまで威容を誇っていたオスマン帝国やムガル帝国が,同世紀末には清が順次その繁栄にかげりをみせはじめました。また,諸文明の交流は明確にヨーロッパ主導の色彩をおびていきました。
この時代は,イギリスとフランスが植民地戦争を展開し,勝利したイギリスが,広大な植民地からの富の収奪をとおして,産業革命への道を歩みはじめました。
日本の歴史
1702年 赤穂事件おこる
勅使接待役の播磨赤穂藩主浅野長矩が,朝廷関係の儀式を管掌する高家の吉良義央を江戸城内で切りつけ,切腹となります。この年,大石良雄ら赤穂浪士46人が吉良義央を討ち復讐を遂げ,切腹を命じられました。その後この事件は浄瑠璃や歌舞伎で上演され,「忠臣蔵」として話題となります。
1716年 享保の改革
江戸幕府第8代将軍徳川吉宗は,側用人を廃止して将軍専制体制を確立,そのうえで,財政再建と都市政策に努め,法制の整備を行うなど積極的な幕政改革を行いました。
1774年 杉田玄白が『解体新書』を刊行する
1787年 寛政の改革
老中松平定信は,商業資本の抑圧,朱子学以外の講義や研究を禁ずるなど,厳しい統制をともなう改革を行いました。しかし,民衆の反発を招き,定信は6年あまりで退陣しました。
『世界史地図・図解集』はさらに
・「Word」「一太郎」「PowerPoint」を利用して、独自の解説文などを付け加えることが可能です。
・「地図」「図解」のみをコピーして貼り付け独自の歴史資料を作成することが可能です。