最終更新日2024年12月18日
世界史の歴史地図へのお誘い
詳解世界史歴史地図・図解
−ムハンマド=アリーの支配領域−
ムハンマド=アリーはエジプト最後の王朝ムンハマド=アリー朝(1805〜1953)の創始者で,在位は1805〜48年です。ナポレオンのエジプト遠征とその退却(1798〜1801)という政局の混乱に乗じて,1805年カイロ市民の支持を取り付け,オスマン帝国(トルコ)によってエジプト総督に任命されました。以後,一連のエジプト近代化を実施するとともに,アラビア半島出兵,スーダン征服,ギリシア独立戦争への介入,そして2度にわたるトルコとの戦争など,領土拡張政策をとりましたが,ヨーロッパ列強の介入を受けました。
第1次エジプト=トルコ戦争(1831〜33)はギリシア派兵の代償としてシリアの行政権を要求し,拒否されたため,エジプト軍がシリア占領に成功した戦争です。第2次エジプト=トルコ戦争(1839〜40)はシリア奪回を目指すトルコ軍を再度エジプト軍が破った戦いです。英・普・オーストリア・露の4カ国はエジプトに停戦と撤兵を迫りましたが,エジプトが拒否したため,4カ国は武力でシリアのエジプト軍を壊滅させ,戦争を終わりに導きました。この結果,ムンハマド=アリーはエジプトとスーダンの世襲統治は認められ実質的な独立は勝ち取りますが,シリアとアラビア半島の放棄,軍隊の縮小,貢納支払いの厳しい条件を課せられ,力を失っていきます。