有史以来、5000年の人類の歩みを理解することは大変なことだとおもいます。
この大変な世界の歴史に、すこしでも興味をもってもらおうと、
ここでは、おもいつくままに、歴史的な事柄について紹介します。
2世紀の世界
この時代は、東西に大帝国が存在するなかで、両国を結ぶ交易も活発化し、多くの通商国家(パルティア・クシャーナ朝・サータヴァーハナ朝など)が成立・繁栄した。
東西交渉が活発におこなわれるなか、紅海・インド洋を航行する季節風貿易も栄えた。ローマ帝国の南海貿易をあきらかにする重要な史料として、1世紀にエジプトのギリシア人が書いた紅海、インド洋沿岸地帯の商業案内書『エリュトラー海案内記』がある。エリュトラーは「赤」を意味し、エリュトラー海は紅海を指すが、当時は今日のインド洋、アラビア海、ペルシア湾の総称である。
東西交易路の「草原の道(ステップロード)」「オアシスの道(シルクロード)」とならぶ「海の道」は、東方から運ばれたアジアの物産にちなんで「香料の道(スパイスロード)」、「陶磁の道(セラミックロード)」ともよばれた。
この頃の日本では、吉野ヶ里遺跡に代表される大規模な環濠集落がつくられる。弥生時代になると、人びとは周囲を濠で囲った環濠集落をつくるようになった。なかでも佐賀県で発掘された吉野ヶ里遺跡は大規模なものとして知られている。吉野ヶ里遺跡は二重の濠に囲まれており、物見櫓や墳丘墓などがあったことがわかっている。