最終更新日2026年6月14日
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世界史の歴史地図へのお誘い
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世界史の学習室


東方イスラーム世界

次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。

 遊牧民であったトルコ人は騎馬戦士としてすぐれていたので、アッバース朝のカリフは、9世紀初頭から(1)と呼ばれるトルコ人奴隷を親衛隊としてもちいた。(1)勢力の伸張はカリフの権力低下をまねく要因となったが、異教の世界から(1)を購入し、軍事力の中心とすることは、その後のイスラーム世界でしだいに一般化していった。
 中央アジアから西方に進出したトルコ人の(2)朝もこれらの(1)をもちいて、強力な軍隊組織をととのえた。王朝創始者の(3)は、1055年に(4)朝を駆逐してバグダードに入城し、アッバース朝カリフから(5)(支配者)の称号を授けられた。スンナ派の(2)朝は、シーア派のエジプトの(6)朝に対抗して、バグダードやイスファハーンなど領内の主要都市に(7)(学院)を建設し、スンナ派の神学と法学を奨励して学問の育成につとめた。これらの学院は、建設を指導したイラン人の宰相(8)の名にちなんで、(9)学院と呼ばれた。また、(2)朝はアナトリアやシリアの海岸地帯にも進出してビザンツ帝国領を圧迫したので、ヨーロッパのキリスト教国が(10)をおこす原因となった。
 一方、同じトルコ人の(11)朝は、東・西トルキスタンを支配してこの地方にイスラーム文化を持ち込み、またアフガニスタンの(12)朝は、10世紀末から北インドへの侵入を始めた。イスラーム帝国の分裂にもかかわらず、このようなトルコ人の活動により、イスラーム世界は広がりをみせた。
 その後モンゴルの勢力が拡大し、(13)の率いるモンゴル軍は西アジアに進出して、1258年にバグダードを攻め落とした。ここにアッバース朝は滅び、600年あまり続いたカリフ制度もいったん消滅した。(13)はイラン・イラクを領有して(14)を建国し、エジプトの(15)朝と敵対したが、(16)のときにイスラーム教を国教とした。(16)は、地租を中心とするイスラーム式の税制を導入し、農村の復興につとめる一方、イスラーム文化の保護にも尽力したので、モンゴル人支配のもとで、イラン=イスラーム文化が成熟した。(16)の勅命で、宰相(17)は、ペルシア語によるモンゴル中心のユーラシア世界史『(18)』を著した。

東方イスラーム世界


答え
(1         )(2         )(3         )(4         )
(5         )(6         )(7         )(8         )
(9         )(10         )(11         )(12         )
(13         )(14         )(15         )(16         )
(17         )(18         )(19         )(20         )
(21         )


解答
1マムルーク 2セルジューク 3トゥグリル=ベク 4ブワイフ 5スルタン 6ファーティマ
7マドラサ 8ニザーム=アルムルク 9ニザーミーヤ 10十字軍 11カラハン 12ガズナ
13フラグ 14イル=ハン国 15マムルーク 16ガザン=ハン 17ラシード=アッディーン 18集史
19ファーティマ 20セルジューク 21ガズナ


(センター試験 改)

 スンナ派イスラームを受容したトルコ系王朝の名と、その王朝の11世紀後半におけるおおよその支配領域を示す次の地図中のaまたはbとの組合せとして最も適当なものを、下の@〜Cのうちから一つ選べ。

東方イスラーム世界3


@ ファーティマ朝−a  A セルジューク朝−a
B ファーティマ朝−b  C セルジューク朝−b


解答 C
解説
aはシーア派のファーティマ朝
bはスンナ派のセルジューク朝


(共通テスト 改)

 地域や王朝を越えて伝えられた文化や制度について述べた文として最も適当なものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。

@ ゼロの概念か、ローマからイスラーム世界に伝わった。
A アマルナ美術の影響を受けた細密画(ミニアチュール)が、イスラーム世界で発展した。
B 教育機関であるマドラサが、イスラーム世界各地で建設された。
C マムルーク朝で開始されたイクター制が、その後のイスラーム王朝の下でも用いられた。


解答 B


(世界史の言)

「分割して統治せよ」

 15世紀のフランス王ルイ11世が国内諸侯をおさえるのに用いた政策ともいわれるが、古くはマケドニアのフィリップ2世にさかのぼるともいわれる。一般的には古代ローマのイタリア支配の原則をさして使われ、時には近代イギリスのインド植民地支配にもいわれた。



(この問題は『世界史標準問題』に収録されています。また、問題で使われている地図・図版は『世界史地図・図解集』に収録されています。)