最終更新日2025年6月23日
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世界史の学習室
−イスラーム勢力のインド進出−
次の文の( )に適する語句を入れ、図版の空欄に適語を答えよ。
7世紀中頃の(1)朝滅亡後のインド各地でさまざまな勢力が割拠するなかで、10世紀末から、中央アジアのイスラーム勢力がインドへの軍事進出を開始した。アフガニスタンを拠点とするトルコ系の(2)朝と、(2)朝から自立したイラン系とされる(3)朝が、富の収奪を目的にインドへの侵攻をくりかえした。(4)(王子を意味する語)と総称されるヒンドゥーの諸勢力はこれに一致して対抗することができず、13世紀初めにインドで最初のイスラーム政権がうまれた。
最初のイスラーム政権は、(3)朝のインド遠征の際に、支配地を任された将軍(5)がデリーにたてた王朝である。(5)が奴隷出身であったことから、この王朝を(6)王朝と呼ぶ。また、(6)王朝を含め、その後デリーを本拠にした(7)朝・トゥグルク朝・サイイド朝・ロディー朝のイスラーム諸王朝は、まとめて(8)朝といわれる。そのうち、(7)朝は地租の金納化をはじめとする経済改革を実行し、それらはのちに(9)帝国の統治政策に受け継がれた。また、南インドにも侵攻し、支配地域を拡大した。
イスラーム勢力の進出により、初期にはヒンドゥー教寺院が破壊されることもあったが、現実の統治でイスラーム教が強制されることはなかった。イスラーム信仰が、神への献身を求める(10)運動や、苦行をつうじて神との合体を求める(11)などのインド旧来の信仰とも共通性があったために、都市住民や(12)差別に苦しむ人びとのあいだにイスラーム教は広まった。ヒンドゥー教とイスラーム教の要素を融合した都市が建設され、あるいは(13)語の作品がペルシア語へ翻訳されるなどして、インド=イスラーム文化が形成された。
答え
(1 )(2 )(3 )(4 )
(5 )(6 )(7 )(8 )
(9 )(10 )(11 )(12 )
(13 )(14 )(15 )(16 )
解答
1ヴァルダナ 2ガズナ 3ゴール 4ラージプート 5アイバク 6奴隷 7ハルジー
8デリー=スルタン 9ムガル 10バクティ 11ヨーガ 12カースト 13サンスクリット
14ガズナ 15ゴール 16デリー
(センター試験 改)
インドのイスラーム王朝の歴史について述べた次の文の空欄(a)〜(c)に入れる王朝の名の組合せとして正しいものを、下の@〜Cのうちから一つ選べ。
イスラーム化したトルコ人の建てた(a)と、それに続いて(b)が、アフガニスタンから相次いでインドに侵入した後、約3世紀にわたって続く(c)が成立した。
@ a−ゴール朝 b−カラハン朝 c−デリー=スルタン朝
A a−ガズナ朝 b−ゴール朝 c−デリー=スルタン朝
B a−デリー=スルタン朝 b−カラハン朝 c−ガズナ朝
C a−ゴール朝 b−ガズナ朝 c−カラハン朝
解答 A
(共通テスト 改)
インドの都市デリーについて述べた文として最も適当なものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。
@ この地で第1回インド国民会議が開催された。
A この地で開催されたインド国民会議で、4綱領が決議された。
B この地にタージ=マハルが建造された。
C この地に奴隷王朝の首都が置かれた。
解答 C
(世界史の言)
「忘恩の祖国よ、汝は私の骨さえ所有することはないであろう」
第2次ポエニ戦争で、前202年のザマの戦いでハンニバルを破ったスキピオは、ローマにとって救国の英雄であった。しかし、のちに保守派のカトーらの陰謀によって失脚させられ、公職を去り引退した。これはそのときのことば。
