最終更新日2025年6月21日
世界史の歴史地図へのお誘い
大学入試世界史歴史地図問題
−西方イスラーム世界−
次の文章の( )に適する語句を語群より選び、その番号で答えよ。また、問に答えよ(大阪学院大 改)。
ウマイヤ朝の時代にイスラーム勢力は北アフリカを西進し、8世紀初めにはイベリア半島にまで進出して西ゴート王国を滅ぼした。このイスラーム勢力のヨーロッパ進入は、フランク王国によって阻止されるが、イベリア半島の大部分はイスラーム勢力の支配下に入ることになった。
8世紀にウマイヤ朝はアッバース朝に倒された。しかし、イベリア半島にはウマイヤ家の人々の一部が逃れ、そこに独立王朝、後ウマイヤ朝が成立することになる。後ウマイヤ朝は、大モスクでも知られる(ア)に都を置き、10世紀に最盛期を迎えた。
後ウマイヤ朝が滅んだのちもイベリア半島にはイスラーム勢力が残存したが、キリスト教勢力によるレコンキスタ(国土回復運動)により、その勢力範囲は縮小していった。レコンキスタは15世紀にナスル朝の都である(イ)が陥落することによって完了し、イベリア半島からイスラーム政権はなくなった。なお、ナスル朝の宮殿兼城塞である(ウ)宮殿は、スペイン=イスラーム建築の代表的存在として有名である。
イベリア半島からは、イスラーム文化だけでなく、それを介して間接的に古代ギリシアの学問が西欧に伝えられた。かつて西ゴート王国の首都であった(エ)では、古代ギリシア語やアラビア語からラテン語への翻訳活動が盛んで、西欧の12世紀ルネサンスに影響を与えたのである。
北アフリカでは、10世紀にチュニジアにおこったファーティマ朝が、エジプトを征服して、新都カイロを建設した。エジプトでは、12世紀にサラディンによって(オ)朝が建てられ、さらに13世紀にはマムルーク朝がおこって、イスラーム支配がつづくことになる。なおカイロに創設された(カ)学院は、現存するイスラーム最古の大学・教育機関として知られる。
エジプトより西方の北アフリカ地域では、(キ)人によって11世紀にムラービト朝が、12世紀にはムワッヒド朝が建てられた。ムラービト朝が建設した都の(ク)は、次のムワッヒド朝においても首都とされた。哲学者・法学者・医学者として高名なイブン=ルシュドが活躍したのは、ムワッヒド朝の時代である。
(語群)
1 ブハラ 2 トレド 3 ミナレット 4 ヘラート 5 アズハル 6 マラケシュ 7 サーマーン
8 アイユーブ 9 クトゥブ=ミナール 10 アラベスク 11 クルド 12 ニザーミーヤ 13 グラナダ
14 サマルカンド 15 コルドバ 16 マグリブ 17 エディルネ 18 ベルベル 19 ホラズム
20 アルハンブラ
問 ナスル朝の支配地域を、地図のA〜Dより選べ。
答え
ア( )イ( )ウ( )エ( )オ( )カ( )キ( )ク( )
問( )
解答
ア(15)イ(13)ウ(20)エ(2)オ(8)カ(5)キ(18)ク(6)
問(A)
